座敷童子か天使か
- stainedglasssumire
- 2022年3月25日
- 読了時間: 2分
最近、何かおおいなる世界と繋いでくれるものの存在について考えます。
例えば、眠気と戦いながら、必死に行きたい神社仏閣について調べている時、あれ? と、思うとふすまがほんの少し開いていたりします。自分では開けたつもりがなく、不思議な気持ちになります。ある日は、私が行こうとする場所に、必ず先にトレンチコートの美しい人がいて、移動する度に、その後ろ姿を見てはっとしたりします。ただの偶然かもしれませんし、人によったら取るに足らないことかもしれませんが、私は天からの授かりものを受けたかのような、少しの興奮とふんわりとした幸福を感じます。そんな時に、私は、ああ、座敷童子や天使はいるんだ、と納得するのです。
そうすると、日々生きていてちょっとした救われる瞬間に感謝したくなります。はまったら足を痛めそうな溝をうまく避けて歩けたり、猛スピードの車が横切っても無事でいられたり、そんなことが有り難く思えます。私が注意深いのではなく、私の危険察知能力に手を貸してくれている誰かがいるように受け取れるのです。
私はどちらかというと虚弱体質で、よく体調不良になります。そんな時に思ってもみない誰かから連絡が届いたりすることが多々あります。これも生活する中で発見したのですが、優しさや思いやりは、本当に必要な時に、まるで誕生日プレゼントのようにやってくるものです。その仕組みを作ってくれているどなたかには心からお礼を伝えたいです。
もちろん私だって腐る日もあります。欲や業も持っています。手放しで良い人間とは言えません。けれども、おおむね幸せに暮らしていけるのは、やはりどこかで何かに見守られているからだと思えてならないのです。そのことにできるだけ気づいて、ありがとうございます、という言葉を忘れないでいたいと思います。


コメント